そのまんまの自分

前回のブログを読み、より本当の自分を書きたくなった。

私は勉強はきらいだが絵を描くのは下手でも好きで高校は美大付属高校しか考えてなかった。
でも高校受験で、12歳で透析になっていたのだが、担任の先生は毎月輸血を必要な貧血だから電車で高校に通えないから、ランクを下げた歩いて通える公立高校受験を勧めた。
母は受験にピアノの実技が不要でも楽器の経験があれば受験できる、バスで通える音大附属高校を勧めた。
どちらも気が進まなかったけど、病気を理由にランクを下げて高校受験はいやだったから、音大附属高校へ進んだ。

ところが、高校入学初日に男性の音楽の先生から音大はムリだと言われた。
その理由は覚えていなくて先生は機嫌が悪そうにみえた。
入学した生徒は美人が多いなと思っていた。
私と同じでピアノは弾けずヴァイオリンを習っていた生徒はやっぱり美人で何も言われていなくて音大に進んだ。
音大に行けないはっきりした理由はわからなかった。やっぱり顔?
先は真っ暗と思ったけど、完全な暗闇じゃなかった。
好きじゃない音楽のために大学へ行かなくてよくなった。自分が進む方向を自分で少し選べるってこと?

最初看護師になりたいと思った。
透析で看護師の仕事はすばらしいと感じていた。
でも透析しながら看護師の仕事の自分のイメージは徐々に難しくなった。
次に研究者になれないか、というちょっと無謀な夢。勉強できないのに?
中学生から絵もきれいだったNewtonという科学誌をみていて、腎性貧血での輸血が不要になるエリスロポエチンという薬はバイオテクノロジーで開発されたと知った。
そんな開発ができる術が身についたら・・・
大学受験2回失敗は、勉強がきらいなので時間がかかるのは仕方がない。
自分が好きなことができる、「大学での実験」という目標があったから試験失敗は辛いと思わなかったみたい。


母は私に年上の人と結婚してほしいと言ったことがある。
現在の夫は同じ発酵学研究室でマスターの年下である。浪人してない。。。
発酵とは味噌や醤油でなく、ペニシリンのような薬をつくるカビを探すことだった。

透析患者が健常者と肩を並べて就職活動は難しかった。障害ある学生対象の合同説明会でも全く声はかからず・・・私は大学卒業間近の11月に大企業の人事から面接の電話があり、障害者枠で採用していただいている。

仕事は大学とは違ってシステム開発。パソコンも満足できないのに入社してゼロからスタート。
病気で思い通りにならないことが多いけど、柔軟性はついたのかな。