ご迷惑を掛けてしまった件

金曜日、透析終了後、車イスに乗ってドライバーさんを待っていたとき、車イスの座りにくさを感じた。
座面で自分が座っている位置は少し浅めだったが、特に問題なかった。

ドライバーさんが私の車イスを押して車に向かう間に徐々に自分の身体はずれ落ちているのがわかった。「まずいかも・・・」
以前、少しずれ落ちた姿勢で送迎車に乗り、車が坂を下ると自分の身体が車イスから落ちかけたことがあった。この時の自分の中での教訓で「ずれ落ちた姿勢で送迎車に乗らないこと」。でも今日はドライバーさんは数人いらしたが、奥に座らせてください、という手の動きは通じず、磁気ボードでのコミュニケーションは透析室がほとんど、しゃべってはみたが当然通じず・・・姿勢は仰け反る感じであったが、近くでこの様子を見たドライバーさんが看護師さんを呼んでくださったようで、姿勢を直してもらうことができた。話せないということがこの日ほどうらめしく感じたことはなかった。「姿勢が崩れているので出発を待ってください・・」自分がどのように、言葉になっていない発声をしていたのか・・・想像するだけだが後になって考えれば考えるほど恥ずかしい。来てくださった看護師さんは手に血圧計を持っていたので、私は具合が悪くなったということで呼ばれたのだろうか。姿勢を崩しただけだったのだが。。。

直して頂いた姿勢だが、身動きの仕方によってはまたずれ落ちる感覚があり、車の中ではじっと動かないように緊張していた。
自宅に着いても、ずれ落ちる感覚がする。さすがにこの感覚は車イスに変化があったのではと思い、父に私の車イスに何か変わったところはないか聞いてみた。

原因は、背もたれがわずかに倒れており、私は仰け反る恰好をしていると感じていたらしいことだった。
背もたれが倒れているなんて自分で気づかなかったし、この車イスに熟知していなければわからなかったかもしれない。背もたれを起こすと、ずれ落ちる感覚は消えた。
父は時々車イスのタイヤに空気が入っているかどうかなどメンテナンスをしていたためか、いつもと車イスの状態が違うところを比較的すぐに見つけていた。
背もたれの角度がいつもと違うと気づきはしたが、わずかな角度の違いにオーバー過ぎではないか。

肌身離さず持つことができる、自分の代わりに話せるツール(音が出るなど)を探したい。

今回のミスは間違いなく私にあった。介護者に対する甘えである。
表情で通じるのは、自分の表情を見てくれているときだけだということもはっきりわかったからである。
表情を見られていないときは、私に意識があるかどうかも伝わらないときもあるだろう。
介護者に自分の意志を伝えたいのであれば、予めルールを決めておくことは当然であった。