20130702 なぜ何も課題をやってこなかった右手の感覚がわかりやすいのか

◆今回のリハビリ

図のような三角形と台形が描かれた図を使って、閉眼して選択肢にある図を、または図をなぞった方向を答えた。

今日はすごく眠くて、課題は先生が私の手を持ちなぞった図形を答えるものだったが、「肘の動きを答えるのですか」と、とんちんかんなことを聞いてしまい目が覚めた。

でも課題にはなぜか全問答えられていて、自分がなぜわかるのか不思議で「どこで判断できるのでしょう」と先生に聞くと、「肩関節と肘関節両方でしょう」ということだった。

台形の課題途中から反応が悪くなり、私が台形の上底よりも長い下底をなぞっているとき腕が遠くへ延ばされて痛い(痛いことで課題にこたえやすくなっている)ことを先生に伝えた。先生は課題の図の下底の長さを狭めた。すると図は見えなくなってしまい、痛みをかなり利用して答えていたのかな、と思っていたら痛みのない状態でも台形がわかりだした。

先生は片マヒの時のように右手の存在がわかってきているわねとおっしゃった。でも肘が曲がって右手がどこにあるかまだわからないことがある。でも今日の課題で右手の進む方向が見えていることは大きな収穫だと思えた。そのことで弱いながらも私の右手の存在だなと感じることができた。

◆身体の記憶

右手のリハビリは今回で2回目。しかも今回最初、当たり前のように課題がわかった。片マヒのときに受けた認知運動療法よりもどう考えてもリハビリの進展が速い。課題は1回のリハビリでは解決しないことがざらだったのである。両マヒになり2回目の同じ療法を受けて慣れているせいもあると思う。倒れる前にリハで学んだ考えかたの記憶がわりと残っているのだろうか。というのも、2度目の脳出血の方が記憶力に関してはダメージが小さいこともある。(身体全体のダメージはおおきすぎるが)

1度目の脳出血ではひらがな50音を満足に思い出せず、メ-ルを打てる段階になっても、助詞がめちゃくちゃな文字数の少ない文章しか作れず、夫に直してもらってから送信していたことを思い出したのであ

「むこう側の感覚」は、触れたものの感触の比較を言葉にする(時間がかかっていた、また難しい感じでもあった)のではなく、今は触った瞬間に頭の中で見えたときに答えているので、調子が良ければリハビリの進展が速くなるのも当然かもしれないが、「(むこう側の感覚って)こんなにうまくものなの?」と素直でない私は思ってしまったのである。