言葉を話すことと食べ方に関係する筋肉

今まで食べ物が口に入り、飲み込むには大きいまま飲み込み、味がするから食べた気になっていた。しかし先日、クリスマスのチキンはお腹も空いていておいしいのに食べるのを断念した。チキンを食べるのに異様に疲れるからである。翌日、父にチキンを小さく切り、少し水を加え、ミキサーにかけてもらった。入院中は、きざみ食はみるだけで食欲が失せるなどひどいことを言っていたときがあった。今はきざみ食が食べたいのである。心境の変化?今までのような疲れる食事が嫌になったのである。食事に2時間もかけていたときもあったが、普通でないし時間ももったいない。

今朝の透析への送り出しは、ヘルパーさんはお休みで夫だった。家の中では一語ずつ「た」「ま」「ご」などと話していた。一語ずつでも聞こえないときがあるが今日は全部聞こえていた。
うちを出てエレベータを待っているとき、一語ずつではなく何気なく「なんか寒くない?」と私は言い、私の背後にいた夫は私の脇へ来て身震いする恰好をした。

適当に話して通じていたならすごいと思った。
実は先週のリハビリで、口の中を刺激するとても痛いことがあったが、このとき先生は「痛いって、久しぶりに中島さんの生の声を聞いたわ」とおっしゃっていた。先生は2度目の脳出血で倒れる前に話したことのある方である。
口の中は刺激されて痛すぎ状態であったのだから、言葉を言うとしても無意識の出来事としか思えなかった。

ほんの少し言葉が出始めているのだろうか。
口の中の痛い刺激はあなどれない・・・