リハビリは気づかせていただき、自分の身体を感じることは自ら気づくこと?

最近おや?と思っただけで、些細なことでどうでもいいことかもしれない。

自分に聞こえる音はやっぱりあって、そういう音を増やすには、「これは聴こえている」と認めていく必要性を感じた。
自分はたぶん、「これは聴こえている」と認めていないものは、聴こえていない音だと思う。


昨日、親がホワイトボードイレーザーを床に落とし、はっきりその音を聴いた。
そのことが、聴こえないなら、床に落ちたホワイトボードイレーザーは、床にぶつかっても何も聴こえないし、落とされたものを無音の環境で見ているはずなのに、なにか自分の考えと違う気がした。
聴こえない環境は、自分で勝手に作り上げた法則みたいなものでもあるのかもしれない。

脳出血で耳が聴こえなくなるとは、リハビリ療法士さんがおっしゃったように、恐らく自分は聴こえているが意味が分からない状態にあるのだと思う。

脳の気づくことが、勘違いや間違いを治して、聴こえも分からなったことがわかって回復するように思う。お気楽な感じだが。