見られる自分、それに納得してない自分

いつも思うことがある。
車イスを押してもらい、ご近所の方にお会いする。
ご近所の方と、車イスを押してくれる人とで、会話がはじまる。

私は話せないから笑っている。
そのとき自分は傍からどう見えているのか。
話すことができない、ベビーカーにいるニコニコした赤ちゃん?

自分を知っている方ならそういう捉え方はされなくても、初対面であれば、自分は何に似ているかで、自分の人物像を想像する気がする。

親と筆談で喧嘩するときがある。
明らかに喧嘩しているなら、書かれたものを見なければ不快にならずに済むのに、なんか見てしまう。
先日、「あー、あー、えー、えー、で、何を言ってるかさっぱりわからない」と言われたが、自分の発する言葉が、自分のイメージからかけ離れているとはびっくりであった。


こうありたい欲求。
最近、話せるようになる思いが小さかった。