Vol.41「他人が理解できる文」

PAPER BLOG ・・・ヘルパーさんに読んでいただいているもの。(ものすごく不定期である)プリントアウトして、チラシのようにテーブルに置き、ヘルパーさんがお手すきの時に読んで頂こうとしたが、私がのそのそと遅い食事のときなどは、ヘルパーさんはすぐ仕事を終えてしまうので、ブログを読み終えて、感想を書いて読ませてくださるときもあるのである。。。

Vol.41 「他人が理解できる文」

私は2回脳出血を起こして、倒れてから我に返る過程が2回違っていました。

1回目は勤務中倒れてから透析施設(内科)へ、その後駿河台日大病院へ搬送される断片的な記憶と、搬送された後に夫のご両親と自分の両親とに真っ暗な夢の中に会って、その後入院ベッドにいる自分に気が付いています。
2回目は耳が聞えなくなっていたので、我に返った実感はどのときかよくわかりません。。。倒れた後自分は高層ビルの病院の最上階で食事をしたり(私は胃ろうで口から食事はとれなかったので夢のようなもの)、手術後なかなか病室に返してもらえずオペ室そばの部屋でしばらく寝泊まりしたり・・・倒れた後腸腸閉塞の手術を受けたことは聞いているのですが、夢と現実が混ざったものを頭で思っていたところがありました。

脳出血後の脳が考える行為を回復するまでスピードは、2回目の方がものすごく速かった実感があります。 倒れて搬送された病院で入院していたのは4か月位で、このとき頭はぼーっとしていませんでした。 耳は常に意味のない雑音を聴いていて、言葉を理解できなくなって誰とも会話ができなかったせいか、字を読みたくて仕方がありませんでした。 それに比べ1回目の脳出血のときは、いつも自分は朝目が覚めてもずっと寝起き状態のようであることが2年以上続いていました。

私は2回目の脳出血後は高血圧ではなくなっていて、退院後自分の脳は、見た目は寝たきりで障害はひどくなっているけど、その代わりに1回目にあった頭の圧迫感がなくなり脳は考えやすくなっていると思いました。

でも2回目の脳出血後で、母から私には時間の概念がない、言っている意味がわからないことがあるという指摘がありました。 耳が聞こえないと自分は夢の中にいるのか現実世界にいるのかわからない面があって、時間を無視したとんちんかんなことをいっている可能性がありました。  それは現実世界にいれば、自分はどの時間に生活しているか覚えて、時間とはこんなものと認識する気がしました。 でも聞こえないし、話せないのに、筆談で自分が言いたいことが伝わっていないことは問題でした。。。 折角自分の頭が考えやすくなっていると思ったのに、自分が考えを表現する部分で脳にトラブルがあると、いいことを思いついても誰にも伝えることができないなんてつまらない。

私は2回目の脳出血後入院中からブログをはじめていて、自分が書いたブログを読むとへんなわかりにくい文がたくさんありました。  ブログを投稿後に書いたブログにへんなところに気づいたら修正していました。

ブログを修正することは、話すことの代わりにやってる筆談で書いたもの(私は字が書けずPCでタイプする)を修正することは同じだと思いました。
当たり前ですが、修正しなくて済む文が書けたらいいのにと思いました。

ブログは、私の場合、自分の考えがうまく表現されていないんです。
自分はこれから書こうとする内容も、書いてしまった内容も間違う可能性が非常に高いと思うようにしてみました。
はじめは投稿する前に文の修正の量が多くて、文を書いた時間の3倍位修正していました。 この行為は、普通なら推敲だと思いますが、私の場合はそういっていいものか・・・ 私は読めたものではない文の発見に時間を費やしていたんですよ。。。

ブログを簡単に投稿できないものだと思うと、自分は頭の中で安易に文を組み立てしづらい環境ができていったのかなと思います。
安易に作った文は、また壊されて(修正されて)無駄になると脳が悟りはじめたのかもしれません。。。 文を作るときに使う言葉は、読む人に私の考えを伝えたいため、この言葉なら絶対伝わるはず・・・などと思いながら、言葉の選択の仕方が変わった気がします。

結局自分の思いついた考えをそのまま文を作ってしまうと、脳出血の影響で表現はおかしくなるため、他人伝えることができないことが多いです。 でも自分の考えを、自分のための表現ではなく、第三者が使いそうと思われる表現に翻訳する?ことで理解してもらえているのではと感じはじめています。 そう思い始めたのは、最近自分のブログにコメント(感想文のようなもの)を書いてくださっている方がいらっしゃるので、以前より自分の文のわかりにくさは減ってきたのではないかと思ったからなんです。