自分の脳出血の原因について考える

私はどうして脳出血になったのか。

1度目の脳出血片麻痺になったとき当初、2年位頭は朦朧としてそのようなことを考えることはできなかった。認知運動療法でリハビリを始めて、自分がクイズに答えるようなリハビリを受けることを自分は行なっていると気づく。このリハビリを受けてレポートを書くとじわりじわりと自分の身体は確実に変化をし続けていた。
このときもまだ自分がなぜ脳出血になったのか、まともに考えていなかった。
考えるとしても、脳出血が起こる原因は、透析関係で身体に悪影響を及ぼす何かをやってしまったのだろう・・・そう思うと自分の罪悪感とリハビリを受けるべきなのだろうかという気分になる。リハビリで身体をよくしたい。その思いが、自分に本当の脳出血の理由を考えさせてこなかった気がする。
2度目の脳出血
耳がほとんど聞こえないためか、半年位、自分が夢の中にいるのか現実の世界にいるのかよくわからなかった。
2度目の脳出血後、最初の病院で入院中、活字中毒になった。持っている本は文芸春秋だけだったとき、分厚い雑誌なのに2回通して読んだ。読めない字も多い雑誌で、今は考えられない。
自宅から本を持って来てもらい読む。ジャンルは何でもよく、読みたくて仕方がなかった。今、何を読んだのか思い出せない。目で字を追いたかっただけだったのだろうか。このとき何か脳に異変が起きていた気はする。
聞こえないししゃべれない・・・自然と考えることが多くなる感じだ。
かつて考えてもわからなったことを考えてみようと思うことも多くなった。
私が脳出血の原因、その当時を思い出して考えてわからないものか。
リハビリを行なう上で、やはり自分の嫌な面を再確認しつつ脳出血の原因を考える必要があるだろう。そうすれば、完全とはいかない原因の説明であっても、今まで感じてきたリハビリを受ける罪悪感みたいなものが薄れないだろうか、と思った。
現在考えている脳出血の原因は、その時の自分に対する落ちこぼれの精神、仕事のやりがいに必要な自分の能力のなさ。倒れた頃、自分の未来をイメージできずにいた。
中学・高校・大学・勤め先では、夜間透析のため早めに帰る必要があったが、いろいろと周囲の人に理解を得ることができた。ところが倒れるころ、私はほぼ毎回透析に遅刻していた記憶がある。透析不足が原因の脳出血であることに間違いないと思う。でもその頃の自分の仕事が多忙であるはずがない。きつい仕事を任された記憶もない。
自分の身体は、透析に通院することで生きることができる。
もっと自分を見据えることができていたら、たとえ悩みがあったとしても、透析をさぼることは起こり得ない。
今日のブログは重たすぎる内容だった。。。