年が明けた

年始だし、ココロ新たにしようと思う少しばかりの自分がいる日。
でも私は子供の頃から計画倒れが多く、今も変わってない。

計画なんてねえ、と自分に問う。
一寸先は闇があるなという自分の過去。
計画というか自分をいい状態に持っていくにはどうすればいいかしか考えてこなかった。

今の事しか考えていないみたい。

どういう状況でも、自分のココロに変化はなさそうと確認する日?

レスパイト入院

現在レスパイト入院している。
レスパイト入院は、介護者が体を休めるために患者が入院するものと聞いている。

今回のレスパイト入院は2回目で、1回目はリハビリで車イスを小さいものに換えたところ、夫は腰を痛め2週間入院した。
当初から使っていた寝たきり患者をデザインした車イスは、あちこちのリハビリで背が高いのでは、と言われていた。 背が高い介護者には問題はなかったのだが。
2回目の現在のレスパイト入院は、夫の里帰りのためである。

レスパイト入院は、リハビリ入院ということになって、2回ともリハビリの療法士にお世話になっている。 今回はある日、ナースステーションに1時間座っていましょうと言われた。
ナースステーションの中をじろじろ見て、これからどんな方が入院されるかホワイトボードに書いてあった。 3日分だったが、1日2人ペースでレスパイト入院とあってちょっと驚いた。 年末年始は特にレスパイト入院する患者は多いのだろうか。 1~2週間で退院予定のようであった。
私は3週間入院予定だが、レスパイト入院って元気なのに病院で生活して居候みたいと思っていて、何だか恥ずかしい。。。

今お世話になっている病院は、2回目の脳出血の時、自宅で生活するため1年間リハビリした、なつかしさを感じる。 入院したのは12年前だから、透析のスタッフ数人に会うだけと思ったら、療法士とか介護福祉士とかに見覚えある方がいて、ちょっと嬉しかった。


 

今度は夫の弟の息子さんが遊びに来た、でも・・・

先日は台風で東京から帰れなくなった夫の弟の娘さんがうちに遊びに来た。
オーストラリア帰りで、国際線は大分遅れることもあって、到着は22時が23時過ぎになった。
私は22時半には起きていたが、寝てしまい、目を覚ました0時半には息子さんは食事を済ませ寝ていた。
あ~あ、とがっかりした翌朝、私は午前透析で7時台には起きているが、息子さんがいない。
夫に聞くとまだ寝ているという。
透析に出かけるときになって、ふと見上げるとロングヘアの女性が立っていた。
私はびっくりして夫に息子さんは?と聞いても、ヘルパーさんがいる手前、出かけるよう促され、私は不思議だな屠思い、女性に会釈して出かけた。

ロングヘアの女性は息子さんで、私は大変失礼をしてしまった。
本当に申し訳ございません。
髪はきれいだし女性独特のムードがあって、見た目だけでは男性とは思えなかったです。

自閉症の僕が跳びはねる理由◆東田 直樹

夜、眠れないときNHKで再放送が深夜にやってるのでよく観る。

先日、2014年にやってたドキュメンタリーの再放送があった。
自閉症でうまく話せないが、パソコンですばらしい文章表現ができ、文字盤上でローマ字を指さしコミュニケーションができる東田 直樹さんのことだった。
番組を観てネットを読んだら、それを可能にしたのは、お母様による試行錯誤で、ものには名前があると理解する必要があったという。

自閉症の僕が跳びはねる理由 」は、東田さんが13歳のときに書かれたエッセイで、現在30歳になられ本を出されている作家です。
自閉症の僕が跳びはねる理由 」という本は、20か国以上に翻訳され、子供とコミュニケーションが難しい多くの親に読まれている。 東田さんの思っていることや行動の意味が、一問一答わかりやすい本だった。

私も話せないと思って観たけど、「自閉症の僕が跳びはねる理由 」を読むと、自閉症は話せない、思いとは違うことを話す、自分の身体の感覚があまり分かりづらいなど、自閉症を何も知らなかった思った。

気持ちは周りの人と同じで、人と違う行動を取って恥ずかしいと思う・・・




両側を使うとは

いつものリハのPT先生はお休みで、そういうときには以前もそうだったがOTの青木先生に診てもらった。

私は、この男性の先生はやさしいからこういう表現をするのだろうと思っていた。
以前には、寝返りのリハビリで、マヒの右腕をひとりぼっちにしないで、と表現したことがあった。

でも麻痺側の半身の身体は、弱くても感覚はあるのだから、非麻痺側も麻痺側も、一緒に動かそうと易しく考えたらそうなるのか、と思った。
リハビリ中に、私が麻痺側は非麻痺側に頼ると固定観念に縛られていたとき、先生が左右の動きは一方だけでなく共同作業でしょうと言ったのは、自分は考えは違っていたなと思った。


麻痺の重い右足の感覚は、外側の方がわかりやすいと感じると思ってた。外部にぶつかる可能性が高そうだから?
でもその右足が、フットレスト状で左足にぶつかったら、右足の内側に感じるはずなのだ。
私の感覚は思い込み強いんじゃないか。

筆談のリハビリは本当にお疲れ様でした。
またリハビリを診ていただくときも筆談になってしまいますが、私は楽しみにしております。

 

先祖とのつながり?

以前、夫の友人が遊びに来た。
その友人が私になぜ夫を選んだのか質問した。
夫はよくしゃべるタイプではないからだろうか。
私はなんでだろうと思って「いとこに似ていると思ったから」と答えた。

夫より前に付き合った人とはどうも結局うまくいかなかった。付き合う人とは、自分から選ぶものと思っていた。
結局自分はまず夫に選んでもらって、どんな人か見て選んでいる。
私は何度かお付き合いに失敗しているので、し好抜きで夫を見ていた気はする。
夫は父の家系に近いと感じ、自分で選んでない感じだが、確信が持てる選択だった。

私は140cmで両親小柄な家族だったが、はじめて175cmの夫の自宅へお邪魔し、ご両親弟さん妹さんは小柄ではないけど、明らかに夫の背格好は浮いて見えた。でも夫の顔はお父様に一番似ていた。
別宅のおじい様おばあ様にご挨拶に伺った。縁側で話の途中におじい様が立ち上がり「高っ!」と思った。夫のお父様はがっしりした体格で、おじい様はひょろっと長い。
私は気づかなかったが夫が言うには、しゃべり方も似ていたようだ。
おばあ様は小柄な方だった。

隔世遺伝(かくせいいでん)とは、個体の持つ遺伝形質が、その親の世代では発現しておらず、祖父母やそれ以前の世代から世代を飛ばして遺伝しているように見える遺伝現象のこと。 間歇遺伝(かんけついでん)や先祖がえり(せんぞがえり)の一部も、この隔世遺伝によるものである。

 

間違えた!感覚というもの

リハビリ前に、自宅でわからなかった足裏の感覚はぼーっとしたときようやくわかりました、などと書き先生に読んでもらった。
先生は「感覚はなかったということですよね」と言い、何か考えている様子だった。
  
後になって自分の失敗に気づいた。
先生も心にいる自分も、当たり前のように足裏には感覚はあるとわかっていたのである。

このリハビリをはじめた当初(2004年位)、脳出血では感覚はなくならないと聞いていたことを忘れていた。
脳出血で神経が切断されることなどない場合、脳と接続でき、感じにくくなった感覚は回復できる。
お陰様で1回目脳出血ではいろいろな感覚の回復があって、足の装具が取れた理由には足裏の感覚がはっきりわかったこともあった。


はぁ~、それなのに私は2回目脳出血で両麻痺で寝たきり・耳が聞こえず話せないなど、信じ難い自分の病態に、「何もできなくなっちゃった」ので足の感覚もないと思い込んでいたところはあった。

でもリハビリで先生が私の足を揉むと、軽い/強いの違いが感じられた。

ずいぶん遠回りしてしまった気分である。
自分の身体をよく触って、感覚があることを思い出さねばならない。


動きのコツ協会の、認知神経リハビリテーションに似た内容のメルマガを時々読んでる。
最近感覚の話題で、感じることと運動は表裏一体です、とあり、以前PTの先生から全く同じことを聞いたと思った。PTの先生が認知神経リハビリテーションをご存知でないときに聞いた話である。
動きと感じること、同時に取り入れれば身体の回復につながりそうだ。