私のリハビリ

ブログに書き忘れていた、現在のリハビリの手法の側面についてである。

先生の言葉を聞き取れないため、先生の書いてくださる言葉が重要な私の身体に変化を与える情報源になっている。私が少ない文字でひらがな50音ボードで指さし、感じたことを伝えたり質問したりする。良くないことはわかっている。受けたリハビリで即身体が反応した場合、その場で口頭で説明できれば、ブログを見ずに、先生は次の戦略のリハビリを試みることも可能な時があると思うからだ。

先生にホワイトボードに書いていただいていたが、最近はメモ帳で次々新しいページで書ける
ものを使っていただいている。(簡単に破くこともできる、父のアイデア。紙は自宅で出た裏紙で、ecoである。)

これを使い始めたとき、先生が母に危惧されたことをおっしゃったそうだ。
リハビリ後にブログに書く際に、リハビリ中に先生がメモに書いたことを私が読んでしまうことだった。

メモがあれば見たくなる。でもブログに書いたリハビリ内容は、私が私のためにプログラムされたリハビリを受け、私の頭に記憶として残ったものを文章化したものの一部でもある。メモを見てしまうと、リハビリで残された記憶でないものを私は知ることになる。身体に変化を起こすのは、リハビリ中に記憶されたものと思われ、後から読んで知ってしまうことがリハビリにどう影響を与えてしまうか、先生はそれを指摘されたと思った。

今行っているリハビリとは、リハビリ中に受けた感覚、そのとき受けた説明、その説明・感覚から思ったこと、そして最終的に自分の頭に記憶されたものが、結果的に「私のリハビリ」として積み上げられてるのではないか。