透析は当たり前な医療でない

前回のブログを書き、気分は暗くなってしまった。

生まれて腫瘍を取るため東大病院の白血病などの小児がんのこどもたちと入院していた。
私はその記憶はなく、母から聞いただけである。
辛いが病室のこどものお母さんから生きられるからいいと私の母に言ったそうだ。

でも2つある腎臓の1つを取っても生きられるとはいっても、もうひとつの腎臓はタンパク尿がでていて、12歳で腎不全になった。
そのときの主治医は女医で、透析しなければ生きられないと思うか、まだ透析で生きることができると思うかとおっしゃったそうである。
生きられるからいいと言った、入院しているこどものお母さんをたくさんみてきた医師の言葉だと思った。

長いこと透析は週3回通院や食事制限など面倒だと思ってきた。
でも腎不全になったら誰でも透析受けられる日本になる前は、一生透析医療費は自己負担で、借金などして透析して最後にあきらめる人がいた時期があった。 現在の医療費に困らない透析の有難みをもっとはやく知るべきだったと思う。
透析は面倒だが、公費負担のため、社会に目は向いて、面倒という気分にはならない気がした。