聞こえない言葉の練習

自分の聞こえない言葉の練習は、正直言って面白くない。
自分が歌の練習をしていたときは、声の出し方とかを変えたりしてその都度聞いているから、やりがいを感じた。

PAPER BLOGでヘルパーさんに無理なお願いをしてしまったと思った。
言葉を上手く話せないひとに対して、どうして上手く聞こえてこないのかを説明するのは難しい。自分だったらできないと思った。

練習は面白くない。自分が話すことで感じられることは、頭・鼻・喉・食道・肺・お腹などでの振動、突風が口から出ることである。
これらに変化を見出すのは難しいと思うが、最近感じたことに、ぶつ切りにした言えなかったことが一気に言えることが少し出てきた。ただひとにちゃんと伝わっているかはわからない。今はまだ「一人練習」が多い。 


今まで何度心の中でつぶやいた「耳が聞こえたらなあ・・」
聞こえないのに、自分が一方的にしゃべりだすなんてなさそうだし。。。

全く何も聞こえないわけではない。
今のリハビリの先生の声は聞こえる確率が高く、よく聞こえるのはリハビリ終了後。
今週は先生が「もっとやりたいよ。」とおっしゃったのがきこえたのである。
でも・・・。本当に聞こえたのか?
耳が聞こえなくなって、世の中の音は理解できなくなっているはずなのに、目で見た光景には騒音、メロディーが頭の中に作られているのを聞いていると感じる。聞こえなくて「しーん」とはしていない。このおかけで、私は脳が創り出す音と現実の音との違いがよくわかっていない感じである。