人が涙を流す意味への気づき

今日はシャワー入浴日だったが、ヘルパーさんがいらっしゃると、私は泣いていた。
ヘルパーさんはびっくりされてこちらを見ていたが、私も最初はなんで泣いているのだろうかと泣いてる本人もびっくりであった。デイケアサービスの入浴にヘルパーさんが訪問されただけでは、泣くとは普通考えられない。メソメソではなく、しっかり泣いていた。まるで子供である。

2度目の脳出血で入院しているときには、意味不明だが泣くことがよくあった。
泣くのは悲しいわけでもなく、疲れるだけだった。
自分の脳は相当壊れているらしいと思っていた。

ヘルパーさんに身体を洗っていただきながら、自分はどうして泣いていたのだろうと思った。
玄関から部屋にヘルパーさんがいらっしゃると、暖かい空気も一緒に入って来たのを感じていた。
そしてほっと安心して気が抜けてしまったようなのだ。

でもこれはすぐ気づきそうなことなのにわからなかったとはおかしい。
思い返さなければ、無意味に泣くのは脳のせいと片づけるところであった。

意味もなく泣くことは何度かあり恥ずかしい思いをしてきたが・・・

今日も同じことが起こったのか、と思ったが、泣いたときの自分を思い出したら泣く意味はあった。
泣くほどのこと?、という感じはあるが。。。
意味もなく涙を流すのは、私の場合、単に脳のエラーとばかり思ってきた。
感動したり、今日のように緊張が解けて安堵感を得たときにも涙を流すときもある。
痛い、悲しいときだけ泣くと思っていたがそうではないことに気付いたのかもしれないと思った。

涙もろくなってしまう、なんていうことがないといいが・・・