読む本を選ぶ行為/「ブッダと法然」

読みたい本はいっぱいあるが、私はマヒの手はページをめくるには少々面倒があり、紙の厚みがないとめくれなかったりする。
そのせいか、読む本はどうしても前提としてページをめくりやすいものに限られているなあと感じる。

大抵、本の筋書きをネットで読んで選んで購入する。紙の質はわからないから、本の写真で決めてはずれることも・・・
選ぶ本は、読みたくもあり必要があると思っているはずのものだった。
文庫本だが本の題名を見て、透析スタッフの方は「難しそう・・」と言った。
考えてみると、自分でもつまらなそうな題名だと思った。「ブッダ法然」。
ブッダ法然のそれぞれの生涯は似ているところも多く(生まれた月日が同じ)、片方の親を早くに亡くしていたり、出家の背景など対比して綴られていており文章は難しくはなかった。

2度目の脳出血で入院中に、テレビでNHKでブッダのことが放映されるらしいと知り、NHK教育テキストが販売されている番組だったため購入して詠んだ。
このときは、なぜそのような自分が興味を持ったことのないものを読みたくなったのかさっぱりわからなかった。

認知神経リハビリテーションはリハビリ療法だが、イメージを採用しているときもあって、イメージするときには頭の中を真っ白にして、集中してイメージしたいものだけを「想う」。 もちろん、私はいつもこんなことはできない。 頭が眠たいときに便乗しているときにできたりするみたいである。 この状態は瞑想っぽく感じていて、よくわからないけどそれに関係ありそうな本を読みたくなったと思う。
ブッダ法然」は、瞑想に触れてはいなくて、特に法然は社会の変動期に新しい考えの宗教の開拓者だったと記憶している。
そういう人が登場するのは、自然の摂理みたいなものを感じた気がした。