20130205 姿勢に変化?/わかりにくい足底をどう感じるか

◆リハビリ前に、前の日に体に起きたことをポメラで先生に読んでいただいた。

今週の月曜日。これから透析へ行く前に、急に車イスにじっとしていられなくなった。ちぢこまった自分の身体を伸ばしたい欲求に駆られているような。右側に身体を倒し仰け反る格好をとると、幾分楽になれた。普段は左に身体を倒すクセがあるがその逆である。
透析がはじまり落着いたが、今度は呼吸しづらいような(呼吸はできていた)、呼吸が気になって仕方がない。体重のコントロールは問題はなく、心臓に水がたまる可能性は低いはずなのだが。

認知神経リハビリテーション研究会(認知運動療法研究会から改名している)会員に送付される冊子をあまり意味もわからず読んでいる。(^^;)最新号の冊子は体幹が特集だった。体幹のコントロールは複雑で、呼吸も関係するようなことが書かれていた。(予測的姿勢制御・・・??重心のゆれを最小限にするために予測的にフンッと呼吸をため込みお腹に力を入れるようなことを体幹はやっている?)「ちなみに私は深呼吸はうまくできない。(息を吸っているとすぐはきたくなってしまう、はいてるときはすぐ吸いたくなる)
前回のリハビリ後に足の付け根に痛みがでたり、体に変は起きているみたい。

◆足底に紙を前後左右に滑らせ、方向を答える課題

足底にはほんのわずかしか触れていないようで、一瞬すぎて方向がわからない。そのように先生に伝えた。先生は直感で答えていいのよ、とおっしゃった。感覚は原始的なものであり、考えて答えるものではない。
・・・と説明を受けた。一瞬身体に受けた感覚は、言葉であれこれ考えていると変容してしまう気が確かにする。感覚に自分の思いがのせられていくような。
課題とは、身体に受けたものを答えやすくするように選択肢が用意されているのだろうか。マヒの身体の感覚は、本当に混沌として複雑に思える。マヒの感覚とは今までわかっていたことがわからなくなってしまっているが、感じ方を単純化すると課題の選択肢のように「わかる」。正しい感覚がわかるように、考えずにありのままの感覚に合致すると感じる選択肢を見出すことに集中するべきなのだろう。

先生が足底自身ではなく、それの向こう側で感じるようにとおっしゃった。むこう側で感じるとは、足底に気持ちいいとか感じるのではなく、足底の感覚を媒介にして知ろうとしている感覚?はっきりわかっていないが・・・探るように紙の動きを感じたら、先生に足がやわらかくなったと言われ、課題にも正解できた。

しかし今日は全体的にうまくいかなかった。
「ねむいのかしらね」先生が下を向いて話しているのが聞こえた。
確かに眠たかったのである。