「ペイン・リハビリテーションを生きて」ー●体験 を読んで

ブログを投稿するときは、twitterにも同時に投稿していた。
先日ブログに中里先生のことを2回書き、twitterに2回「いいね!」を送ってくれた方がいたのでお礼をした。すると返信があり、患者として認知神経リハビリテーション(認知運動療法)のご経験があることがわかった。
なおさんという名前でプロフィールを読むと、「ペイン・リハビリテーションを生きて」という本を書きました、とあった。病気は同じじゃないが、読みたくなり、アマゾンに注文した。

本の目次
●経験
 私の経験したペイン
 [対話]リハビリテーションを振り返って
●学術
 痛みの基礎科学と臨床との接点
 患者との対話のために
 臨床を創る

※ 本に挟まれていたチラシは、「ペイン・リハビリテーションを生きて」と、中里先生と患者さんが書かれた「わたしのからだをさがして」の2冊の紹介だった。


経験を読みました。


なおさんが怪我が原因でCRPS(Ⅰ)という治療法が確立されていない痛みを発症され、車イスが必要になるときもあったそうである。


その治療に認知神経リハビリテーションが有効であったという証明がこの本の内容だと思うが、リハビリテーションについて提言もされているところもあった。



この本で患者であるなおさんが感じたことは共感できることは多かったが、最も印象的だったことは2つあった。


  • なおさんが1度リハビリで回復しかけていると感じているときに、些細なことでリハビリ開始前のような状態になり、そのとき医師に剣山を踏んでいるようだと訴えていたこと。


  • 私は片麻痺のとき、外出時に突然装具を履いた右足でガラスの破片を踏む痛さを感じたが、尋常では考えられない今まで経験のない痛みで、自分と似た脳が出した痛みを経験されていたのではと思った。ネットでもCRPS(Ⅰ)である方が、激痛でナイフが刺さっているようだと表現されていた。

  • 同じリハビリを再び行わねばならないとき、復習と表現されていたが、一度受けたことのあるリハビリは進み方が速いこと



[対話]では、リハビリを終えるのはどんなときとか、もっとよくなりたいのにリハビリを終了しなければならない患者さんがいることだった。


リハビリは、完全に回復しなくても、これなら自分でやっていけると思える時が来るという考えである。この考えができるのは、患者がリハビリを行っているときから治す意欲があっても難しそうだなあと思ってしまうが、でも「リハビリは一生続くもの」という考えに比べると肩の荷が下りた気がする。

保険の点数上ではリハビリは終了する段階でも、まだ自分はリハビリを続けたいとき、それを可能にする動きもあるらしい。リハビリを続けた方が良さそうだと思ったら、医療機関に相談をする方がいいのかなと思った。
ただ、痛みや高次脳機能障害のあるような、見た目は治療の必要性がわかりにくい患者が治療期間を延長することに否定的な医療従事者もいるそうだが。




なおさんの病気に対する姿勢は、こうしたら良くなるのではないかとよく考えていたことにあらわれていたと思う。医療機関にかかり、されるがままだけでなく、こうしてほしいと意思表示をされていた。それができるのは、病気の知識を自分なりに集め持っていたからである。


また、認知神経リハビリテーションを受けた患者がどんなことを考えたり思ったりしていることが、平易な言葉でわかりやすかった。言葉の置き換えも上手だと思った。
でもCRPS(Ⅰ)の激痛があるのに、なおさんっておおらかに感じた。4人のお子様がいらして、生きる強さを感じたからだろうか。