気配から音へ

この間気がついた。
今まで夫や両親がうちへ来たことは、「来たみたい」とベッドで思うだけだった。
でも今は、買い物から帰ってきた夫が玄関でレジ袋をガサガサいう音を「聴いて」、帰ってきたことお「知った」ことに慣れている。いつから聴こえていたのかはわからない。恐らく、認知聴覚障害は、きこえるとはどういうことかわからないらしく、たとえきこえることがあっても、なぜきこえるのかもわからないみたいだ。そして突然、きこえないと思っていたものがきこえることを知る。
きこえないものを一生懸命きこうとしても、なぜか徒労に終わっていた。
自分の知らない領域で、人間はきいているわけだし、今おこなっているリハビリも、考えてみれば、「なんでよくなったのだろう」と想像することが多い。身体に合わせて自分がいる、みたいな・・・
よくわからないのだが・・・私は病気を介して身体に向き合うことが多いが、治療により身体が変わるときって、人間が考える以上にすごいことが起こっているはずと思うときがある。