Vol.37  「こどもの病気」

PAPER BLOG ・・・ヘルパーさんに読んでいただいているもの。(ものすごく不定期である)プリントアウトして、チラシのようにテーブルに置き、ヘルパーさんがお手すきの時に読んで頂こうとしたが、私がのそのそと遅い食事のときなどは、ヘルパーさんはすぐ仕事を終えてしまうので、ブログを読み終えて、感想を書いて読ませてくださるときもあるのである。。。

時々ブログで公開している。

Vol.37  「こどもの病気」

私は0歳でウイルムス腫瘍という腎臓の小児ガンになりましたが、当然だがその記憶はなく、大変な思いをしたのは両親でした。物心ついても、年に1度東大病院を受診して、採血、たくさん水を飲んで行う採尿を行うだけで、やっぱり病気の感覚はありませんでした。
東大病院での検査データが悪くなりはじめたのは小学4年頃で、食事療法が必要で学校の給食でなくお弁当食べていました(これは記憶していなくて、食事療法を兼ねたお弁当作りで母大変だったはずです)。 腎臓の機能が落ちると運動制限が必要になることがあります。私は体育を見学しなければならなくなった記憶を強烈に残っていて、そのことが自分は病気であると自覚した気がしています。たぶん自分は幼少の頃から3~4年位まで学校が終わると男の子に交じって外で遊んでいたので、走ったり動き回るような遊びができなくなったことなどが自分にはインパクトあることだったと思っています。

入院して透析をはじめたのは清瀬小児病院(現在の小児総合医療センター)でした。

小児総合医療センター
2010年3月に、清瀬小児病院、八王子小児病院、梅ケ丘病院(精神科)、府中病院小児科が府中の「多摩メディカルキャンパス」の地に移転統合し開設。


入院はいやでも同じ部屋の子の年齢は知らないけどすぐ仲良くなる不思議さもありました。でも自分には記憶にないのですが、遊ぼうと言っても首を振っていたいたよとお友達に言われてびっくりしたことがあります。確かに隣のベッドの小さい男の子しかしゃべらなかった時期があり、透析導入したころでした。
自分も何気に透析はショックだったのかも、と思いましたが、子供しかいない透析室は今の私が見てもショックかもしれないと思いました。

小さい子供が腎不全になると、穿刺が必要な血液透析ではなく、腹膜透析が多かったです。腹膜透析ではお腹にカテーテルを設置する手術をして、注入した透析液は腹膜を利用して透析を行い、毒素や水と共に廃液されます。 自宅で行え毎日透析するので、食事と水分の制限はないです。 でも腹膜透析は透析液をお腹にたくさん入れて行うせいか、あまりお腹は空かないと聞いたことがあります。また腹膜透析には、腹膜炎や腹膜劣化などのトラブルで血液透析へ移行することがあります。腎不全の子供はどうしても成長期に十分栄養が摂れず、幼稚園のとき腎不全になり体形はほぼそのまま成人することもあり、透析をやめる方法がないので親から腎移植を受ける現状があります。入院中に、腎不全だったと思われる双子の女の子の2歳位の子供は両親から腎移植を受けていました。

血液透析を行うには腕の表面の血管を太らせるシャント手術、腹膜透析を行うにはお腹に穴を開けカテーテルを通す手術が必要です。
私は思春期に近い子供でしたが、子供の腎不全は防ぐ方法もない運命だと、自分と同じ病気の子供たちと一緒に入院して思いました。
小さい子供がなんらかの理由で腹膜透析ができなく血液透析が必要な時があります。ある小さい子供はしょっちゅう「おおり、ください」(「こ」と言えなくて「「お」と言っていた)と、水分制限があるから、20~30mlだと思いますが小分けにして看護師さんから氷をもらっていました。 また勝手にお水を飲んで看護師さんに怒られる子供がいました。 「〇〇(自分のことを名前で呼んでいた)は飲みたくないのに、〇〇の身体が欲しがるの」。 大人からすると言い訳にしか思えない言葉でも私の記憶に残ったのは、自分も同じことを思っていたはずでした。



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ブログでは、病気を持った小さい子供のお母さんが、子供のために病気について勉強していることを見かける。 運命だし可哀想と思われる子供の病気かもしれない。 でも自分の病気について一生懸命に考えてくれる人がいて成長できて、必要以上と思えるほど恩恵を受けていると私は考えています。